蔵元紹介

青ヶ島酒造


「青酎」は東京か358.4㎞、八丈島から71.4㎞離れた、伊豆諸島の一番奥にあるのが青ヶ島(東京都)です。人口わずか205人のこの島で幻の焼酎「青酎」が生まれます。島に住む人々は、島で造られる焼酎を「島酒」(しまざけ)と呼ぶのですが、もともとは島民のための酒であり島外向けに造っているわけではありませんでした。「青酎」とは、ほとんどの工程を人の手でひとつひとつ行って造られている焼酎です。それぞれの杜氏がそれぞれの造り方、分量で造っているためすべて味が異なります。そのため大量生産はできませんが、それが幻と言われる理由の1つです。

壱岐の蔵酒造


玄界灘に浮かぶ壱岐の島は、五百年の焼酎造りの伝統を持つ麦焼酎発祥の地です。大麦2、米麹1の割合で仕込み、伝統を誇る古来の製法を守りながら低温発酵と蒸留の工夫により、一段と美味しい麦焼酎を造っております。その確立された品質、歴史的、社会的評価、その他の特性が世界に認められWTOのトリプス協定により原産地を保護指定され、1995年(平成7年)に国税庁より「地理的表示」の産地に指定されました。産地指定により、7月1日は「壱岐焼酎の日」としております。2008年よりモンドセレクションに出品しており、現在まで連続で最高金賞など数々を受賞しており、国内では福岡国税局鑑評会にて、長きにわたり金賞を受賞しております。

老松酒造


この日田地方にある当社の創業は、寛政元年(1789)と古い蔵元です。
初代は創業当時、日田地方にある松の老い木がある老松神社の泉より湧き出る清浄な水が酒造りに適していたので、酒造りを始めました。これが老松酒造の名の由来です。悠々しき日田の山々に育まれる自然の恵み、豊かに繁る杉林に濾過された清冽な天然水が、本物を生み出す源となる。樽熟成先進国から学び続けたオーク樽による長期貯蔵、麹へのこだわり・・・。世界に誇る麦焼酎の大産地大分で、さらに個性あふれる焼酎を造り続ける蔵元として、麦米長期樽貯蔵焼酎のオーソリティーを目指します。

大石酒造場


水源近くの清流を引き込んだ大自然の恵み、長年に渡り築き上げられてきた“匠の技”、当社では、それらの伝統のみにとらわれることなく、常に新しい技術を求める探求心を持ち合わせています。
 当社社長・大石長一郎はこう語ります。「失敗してもいいから、冒険をしたい」それは、現状に満足することなく、さらにお客様に満足いただける一品を作りたいという、当社のこだわりでもあります。
その“こだわり”は、まずは原料選びから始まりました。長い歳月における、数々の試行錯誤の結果、焼酎に合うさまざまな原料米を選定してきました。そして当社が導き出したもう一つの答が超音波熟成装置「PASS」の導入です。この装置は、短時間で物理熟成させ、アルコール分子が均一に分散することで、品質が格段に向上し、まろやかな口あたりの焼酎が造り出されます。また、アルコール分子が極めてスムーズに肝細胞内に取り込まれることから、悪酔いや二日酔いしにくくなるという長所もあります。

菊之露酒造


菊之露酒造は泡盛の伝統を受け継ぎながら、宮古島の地で泡盛を造り続けて90余年。代々積み重ねてきた「信用」と受け継いできた「匠の技」で守り続けた旨さがあります。すべての者が旨い酒を造るためだけに技を磨き、丁寧に仕事をこなし、頑固なまでに「菊之露」らしい旨さにこだわってきました。この誠実さと情熱こそが「菊之露」で培われた変わらぬ伝統です。11,000ℓのタンク600本以上を構え、圧倒的な貯蔵量は永久的に供給できる強さがあります。どこよりも豊富な量で価値ある「古酒」を愉しませてくれます。宮古島の水は、硬度の高い硬水。その水は、杜氏の技により絶妙な旨味を引き立たせ、最高の酒を生み出します。

小鹿酒造


それらに感謝する心があればこそ、自然は人間の技を受け入れて、いも焼酎を醸すことを許してもらえるのだと信じています。それゆえいも焼酎は鹿児島の食文化の中心に存在できるのです。人間の技とはいうけれど、実際に蔵に入れば人間の力なんて本当にちっぽけなものなだと感じます。出来ることは本当に限られていて、自然の力を借りなければどうにもならない。その自然の声をきちんと聞くことができるという能力、それが杜氏の経験と勘なのです。それは手作りの小さな蔵でも機械を使った大きな蔵でも同じこと。麹の声を、もろみの声を、五感を研ぎ澄まして見守るしかないのです。

佐多宗二商店


『耕・甕・絆(こう・う・はん)』という理念の元に焼酎造りを続けています。
耕(こう)は耕すの意味から、大地への感謝。頴娃町という土地ならではの大地、水、空気、そしてそんな恵みを一身に受けて育った芋。あらゆる恵みが積み重なり、凝縮されて生まれる焼酎。それを与えてくれる大地への感謝を込めた一文字。甕(う)は文字通り焼酎を寝かせる甕を表しています。これは時間への感謝を表していて、決められた時間の中で如何に動くか、何を考えるか。人の手だけでなく、時間こそが真に焼酎を生み出していく、そんな思いと感謝を込めた一文字。絆(はん)はそのまま絆を意味し、人との巡り合いや縁について、そうして出会った、これから出会う全ての人たちへの深い感謝を込めた一文字。この三文字を理念として掲げ、感謝の気持ちを忘れない焼酎造りを心がけています。

佐藤焼酎製造場


佐藤焼酎製造場のある宮崎県北部では、少なくとも180年も前から焼酎造りが行われていたといわれます。戦後の難局から昭和23年には三代目・佐藤秀十郎が蔵を一新して建て替え、「輝く焼酎」を追求すべく、麦・米・芋焼酎の生産を開始しました。また昭和51年には日本初の本格栗焼酎の製造し「くり焼酎」が日本で初めて発売されました。四代目・水江順治は厳しい経営状況の中、今の佐藤式蒸留機(Sato type distiller)を完成させ、淡麗かつ旨口という高品質な本格焼酎の製造を可能にしました。輝く水面の光の繚乱がコンセプトの「銀の水」、天恵の麦を力強く表現した「天の刻印」といったブランドを次々にリリースし、日本全国や環太平洋地域にとどまらずアメリカ東海岸進出を果たしました。 初代松太郎が夢見た「輝く焼酎」造りの遺志は現代プレミアムテイストの本格焼酎の礎となっています。

白金酒造


おいしい焼酎を造るために、一貫して行っている作業があります。仕込み時期になると、毎朝5時過ぎに新鮮な生芋が畑から届きます。さつま芋は根菜作物であるため、収穫時には表面に泥がいっぱいついています。仕込み前の処理としてきれいに洗い、皮をむいた上に、焼酎の苦みの原因となるヘタや痛んだ箇所を徹底して取り除きます。人手を掛け、丁寧に処理されたぴかぴかの芋のことを白金酒造では「磨き芋」といいます。手間のかかる作業ですが、おいしい焼酎を造るための大事な工程のひとつです。また白金酒造には、「木樽蒸留器」があります。スギ材(クレ板)を組み合わせて作った手作りの蒸留器です。この蒸留器で造られる焼酎は、やわらかく、濃い味わいの焼酎になります。また、蒸留時に木の香りがほのかにつき個性的な酒質になります。木樽蒸留器は生きた蒸留器です。焼酎生産で蒸気を入れると暖められ膨張し、生産が終わると乾燥して隙間ができます。この繰り返しで次第に強度がなくなり、また防腐剤も使えないのでメンテナンスも非常に気を使います。どれだけ大事に使っても5~6年しか耐えられません。それでもその工程を大切にしています。

知覧醸造


知覧醸造は、鹿児島県南九州市知覧町にある焼酎の蔵元です。温暖な気候と火山灰による水はけの良い土壌で、お茶やさつまいもなどの栽培が盛んです。良い焼酎を造るには芋の鮮度は欠かせませんが、知覧醸造では地元の畑で採れたばかりのさつまいもを厳しく選別し、その日の内に加工しています。焼酎造りも機械化が進む中、知覧醸造では「機械で造るな、五感で造れ」という先代の教えを守り、麹造りを三角棚で行うなど、昔ながらの製法を大事にしています。また、アルコール度数を調整する割り水は、ミネラル成分の豊富な地下の天然水を使用しております。先代の想いを受け継ぎ、変えないことで生まれる味わいをご賞味ください。

濵田酒造


濵田酒造は、明治元年に開業した鹿児島いちき串木野市にある蔵元です。現在は伝兵衛蔵・傳藏院蔵・金山蔵という3つの蔵を有し、各々の蔵が『伝統』『革新』『継承』という弊社の核となる焼酎づくりの理念を体現しています。

東酒造


灰持酒(あくもちざけ)とは、古来日本で造られた日本酒の原点で木灰を投入して保存性を高めた伝統的な醸造酒です。鹿児島では昔から地酒(じざけ)と呼ばれ、郷土料理の「酒ずし」やさつま揚げの原材料として欠かせません。以前は各家庭で料理酒や祝い酒として使用されていましたが、戦後灰持酒の製造は鹿児島で途絶えてしまいました。創業者東喜内は地道に研究を重ね、改良を加えながら灰持酒を復活。東酒造の灰持酒は伝統製法を守り、火入れをしない完全生酒で酵素が活きており、お米由来の天然アミノ酸がバランス良く含んでいることが特徴です。素材そのものの旨みを引き出す機能性を兼ね備えた料理酒として、家庭用だけでなくプロの料理人や食品加工の原材料としても全国で幅広く使われております。東酒造は焼酎だけでなく、食への提案という切り口を兼ね備えた大変ユニークな酒造会社です。

三岳酒造


「焼酎が島の特産品・農業の振興につながれば」という思いで、昭和33年に創業し、日本初のユネスコ『世界自然遺産』に登録された屋久島は離島というハンディキャップを乗り越え、現在に至っています。「人・物・焼酎づくりに誠を尽くす」を経営理念に、社員一丸となり、品質の安定・向上を第一に、皆さまに愛され続ける製品製造を目指しています。

朝日酒造


大正5年(1916年)に創業。
社名でもあり、代表銘柄でもある『朝日』は、喜界島が奄美諸島の中で最も東に位置し、洋上から現れる『朝日』を最初に目にすることができることから名付けられました。また、その昇りゆく太陽に社運の隆盛への願いが込められております。以来、90年あまりシマのセーヤ(島の酒蔵)として地元に育まれ、今日に至っております。私どもは、奄美諸島でのみ製造が許されている黒糖焼酎を、喜界島にこだわり、サトウキビ栽培から一貫した「ものづくり」に挑戦し続け、黒糖焼酎を通して喜界島を伝える企業として日々取り組んでおります。

梅乃宿酒造


奈良の葛城山の麓で、1893(明治26)年に梅乃宿は産声をあげ、大和の地酒にこだわり続けて130年を超える時を過ごしてきました。重ねた歴史を礎に、確かな酒造りを続けています。日本酒の醸造におけるオートメーション化が進むなか、梅乃宿は人が手をかける製法を守りながら、心地よい余韻を残す懐の深いお酒を造り続けています。米、麹、酵母、そして水。自然の恵みと人のコラボレーションが生み出す味わいは、これまでも、そしてこれからも、梅乃宿の自慢です。

王手門酒造


酒蔵王手門の焼酎づくりには「妥協」の二文字はありません。美味しい焼酎をつくり、皆様に喜んで飲んでいただく為だけに集中し「理想・発想・情熱」更に「 制法・技法」を駆使し究極の焼酎づくりを目指しているからです。素材といっても、全てにおいて国産が優れているわけではありません。商品の持つ特徴や味わいに適した原料(芋・米・麦など)が存在し、その焼酎にとっての“大切な部分”を見極めてこそ「素材を活かし、味わいをより良いものへと進化させる」ことに繋がります。
当蔵の焼酎づくりの理念に「焼酎は麹や酵母にいる微生物の恩恵」とあります。酒づくりは人が行うもではなく、あくまで微生物が自ら発酵熟成するのを手助けするにすぎないからです。特に、もろみにストレスを与えないよう微生物の動きを巧みに読み、蔵人が心を込めてもろみに「櫂入れ」を行うことで旨味がグッと凝縮されます。

甲斐商店


創業明治37年です。今現在四代目です。伊佐の盆地で寒暖の差がはげしく、夏は蒸し暑く冬は1、2月は朝は氷点下の日が多いです。米もおいしいです。平成8年、区画整理により街中から現在の地に移転してきました。銘柄は伊佐美だけでオンリーです。最初から黒麹で今日まで続けております。現在は黒麹が主流になっていますが、以前は白麹で造っているメーカーがほとんどでした。まろやかで、コクがあり、お湯割をお勧めします。

久米仙酒造


酒に十の徳ありという言葉があります。(百薬の長、延命の効あり、旅行の食となる、寒さを凌げる、持参に便利、憂いを忘れさせる、身分に関係なく貴人と交際できる、労苦を癒す、誰とでも仲良くできる、独居の友となる。)
そして、沖縄において「酒の十徳」を支えてきたのが、泡盛です。泡盛は「古酒づくり」という素晴らしい文化のもとにつくりあげられた「沖縄の宝」。しかしながら、その素晴らしさが沖縄の若者のみならず、県外の方々にも知られていません。久米仙酒造はこの泡盛の美味しさ・楽しさ・素晴らしさを沖縄に留まらず、全国に、そして世界に常に発信する存在となり「お客様の豊かな今と未来」をカタチづくる一助となりたい。そう考えております。

櫻の郷酒造


日南市北郷町。総面積の9割近くが森林という自然あふれるこの町には、日本で最も開花の早い桜のひとつ「日南寒咲一号」や約一万本の桜が咲き誇る「花立公園」など桜の名所が数多くあり、社名の由来ともなっています。また当蔵の誇る甕貯蔵庫には日本最大の約5,500基もの大甕があります。甕の外側には釉薬が塗られているものの、内側は素焼きになっています。 高温で焼成された甕から出る遠赤外線効果や甕内部の微細な孔による呼吸作用により焼酎の熟成が促進され、香りや味わいが深くまろやかになります。蔵人達が精魂を込めて造り上げる本格焼酎に秘められた味わいを引き出せるのは、甕の作用と貯蔵庫の中で静かに流れる時間だけ。今この瞬間も甕の中で焼酎原酒がゆっくりと熟成を進め、いつか訪れる出荷の時を待っています。

田崎酒造


焼酎界では関心の薄いとされていた、原酒の長期貯蔵による熟成に早くから注目し、新酒を出さない熟成の蔵元として、芳醇で深い味わいのある本格熟成焼酎の普及に力を入れるなど、熟成焼酎というジャンルを確立すべく日夜焼酎作りにはげんできました。今後は当蔵元に代々受け継がれる焼酎づくりの可能性に賭ける一途な精神で、製販一体となって、魅力的な商品づくりを行っていきたいと思っております。

白玉醸造


白玉醸造は、明治37年創業以来約120年間大隅半島にて本土最南端の本格焼酎メーカーとして、地元で愛されてきた造り酒屋です。焼酎以外は、昭和28年よりポンカン酒・梅酒等、リキュールの製造もしてきました。 

吹上焼酎


吹上焼酎のすぐ南には仏教伝来の地「笠沙」があり、古くから卓越した焼酎造りの技術を持つ集団黒瀬杜氏がいます。吹上焼酎はその黒瀬杜氏の技術を伝承しつつ、新しい醸造技術も取り入れた飲み飽きしない本格焼酎造りを目指しております。おかげさまを持ちまして、いも焼酎『吹上芋』『小松帯刀』『かいこうず』をはじめとし、麦、米などを原料とした焼酎も多くの皆様よりご支持を賜っております。焼酎を造り続けて115年あまり、蓄積してまいりました技術を駆使し、「品質」に特別なこだわりを持ち、必死に歩んでまいる所存でございます。

西酒造


1845年の創業以来、薩摩の地で旨さを求めて酒造りを続けてまいりました。幼い頃より蔵で育ってきた私は、周囲に広がる芋畑や田んぼを当たり前のように眺めながら育ってきました。改めて、酒造りとは何か?と自分に問いかけた時、その原風景にある農業こそ酒の旨さの源泉であると信じるようになりました。大切なのは、気候、畑の土、栽培の質によって造られる酒の旨さが大きく左右されることです。蔵人の知恵や技術の高さも重要ですが、酒造りは、まず農業を知り尽くし、敬意を払うことから始めなければなりません。私は、農業の豊かさを伝えることも、酒を造る者の使命だと考えています。大地からいただく恵みを酒として表現し、皆様を笑顔にするひとときをつくっていきたい。西酒造は、大地に根差し、何ものにも縛られず、信じる旨さをお届けしてまいります。

柳田酒造


家族経営の焼酎蔵は、その蔵の子供たちにとって、遊び場で、生活の場で、学びの場です。私も同様に、名実ともに蔵に育ててもらいました。ですから、大人になって突然その蔵で働くことになったときも、違和感がなく、居心地のよい場所に戻ってきたという自然体な自分に驚くほどでした。しかし、焼酎造りという伝統技へのチャレンジは、甘くはありません。時として、伝統の重圧に押しつぶされそうになることもあります。容赦ない逆風が私に挑んできます。そんな時は、目を閉じて思い出します。伝統のタスキを受け継ぐことは、新たな創造を積み重ねること。時代を捉え、信じた焼酎を造り続けること。そして、ものづくりの楽しさを教えてくれた先人の教えをけっして忘れないこと。自然の恵みと清水、技が調和した焼酎をお客様が愉しんでいる様子を思い描いて、私たちはただ静かに「醸造」への挑戦を続けます。119年の伝統を胸に!

丸西酒造


鹿児島県志布志市有明町の真ん中を流れる菱田川は県内で二番目に大きい川です。しかし両岸の蓬原地区と野井倉地区はもともと水資源に乏しく畑ばかりで水田はほとんどなかったといわれております。そこで明治の頃から菱田川の水を上流で取水してこの台地に導き入れ広大な水田をつくろうという事業が始まり、戦争や資金不足などきまざまな困難を乗り越えて昭和24年やっと完成を見ました。この開田事業のおかげで火山灰質の台地が豊かな田畑になり黄金の穂並みが一帯に広がることとなりました。ちょうど開田事業が始まった頃、自分たちの手で自分たちが飲む焼酎をつくろうという機運があちこちで盛り上がりました。丸西酒造が作られたのもその頃です。開田事業に携わった多くの方々が焼酎づくりにも参加されたと聞いております。この土地にはシラス層で濾過された甘く柔らかい菱田川の伏流水が豊富にあります。さらに開田事業のおかげで、良質のさつまいもが手に入るようになりました。私たちは創業当時の仕込み甕をそのまま使い、蔵付きの酵母のお蔭もあつて昔ながらの手作り焼酎の伝統を守り続けることができました。私たちの蔵が開田の歴史と共にあったということを実感いたします。丸西酒造はおいしい焼酎づくりを目指してこれからも精進いたします。そして焼酎づくりを通してふるさと志布志の発展に貢献できるようような蔵でありたいと心から願うものであります。

霧島町蒸留所


祁答院蒸溜所